自惚れていた。
自由なのは、私だけなのだと。
自由を 共通する個人の所有物だと。
いつの間にか、そう思い込んでいたーー





"自由"







「姉様ーッ」

ここは日向の家から少し離れた、敷地内の森の中。
長い髪を無造作にまとめ、暑さに頬を色づけた少女が息を弾ませながらこちらにやってきた。今日の稽古は終わったのだろう。
・・・だとすると今は5時。太陽が隠れているのでよくわからなかった。ヒナタはふと空を見上げた。

ハナビは、父様との修業が終わると、いつだってヒナタに会いに来る。
今日できるようになったこと、ほめられた事、・・・時には、嫌だった事。
嫌だと思ったことはないが、姉として気がかりな事はあった。
・・・妹の話の中に、絶対含まれない事項。
それはこの年頃にはいないはずのない、友達の話。
修行ばかりで、日向の中から出る事の無いハナビには、友と呼べるものが、いない。

ヒナタよりも小さなその身体に、沢山のものを背負っているのだ。
それは落ち零れの姉を持ったことによって一層重くのしかかり、彼女を苦しめていると思うと己の無力さに腹が立った。
蔑まれないはずはないのだ。それが日向宗家の当主の娘として生まれた故の定め。
それでも、父の期待に答え強くならなければならない。

「・・・・・・髪。とかそっか。」
「はい!」

明るい笑顔。決して造り笑いではない、純粋な。
何故こんなに笑顔でいられるんだろう。ヒナタにはそれが不思議で仕方なかった。
手招きすると、笑顔のまま目の前に背中を向けちょこんと座った。
私はポーチからブラシを取り出す。

「・・・ハナビの髪、ネジ兄さんにそっくり。」
「・・・そうなんですか?」

髪を梳かしながら、黒くのばした髪に手を触れた。くすぐったそうに、ハナビが目を細めて笑った。
黒くて、長くて、どちらかというと細めで。従兄弟といえど父親は双子だ、おそらく両者とも、父親の遺伝なのだろう。
ブラシに逆らうこともせずハナビの髪はたやすく解けていく。微かに森に入り込む日の光が、彼女の髪に反射した。

ー私がハナビにしてあげる事ができるのは、これくらいなのだ。

少しでも人の心を理解できるような人に、育って欲しいから。
毎日修業、修業。例え望まなくても、強制的に。
疎まれて、束縛されて。

「・・・ごめんね。」

何故落ち零れの自分が、"自由"を手に入れることができたのだろう
何故才に恵まれた者達が、不自由な生活を送らなければならないのだろう。
自分が、恨めしかった。ハナビを、自由に生きさせたかった、と。

・・・沈黙が、流れた。

つい口から出てしまったとはいえ、失言だった。言ったところで、何にもなりはしないのに。
しかし焦るヒナタとは正反対に、ハナビは酷く落ち着いていた。
今言った言葉の意味を、考えているらしかった。

充分時間をおいてから、ハナビはゆっくり口を開く。

「・・・姉様、私は・・・自由とは、人によって考え方が違うと思うんです」
「・・・考え・・・方・・・」
「確かに束縛されずに生きるのは自由なのかもしれません。それは私も、誰も否定しないと思います。
でもそれとは、もっと違う"自由"も在ると思うんです」

ハナビは前を向いたままだ。でもヒナタには穏やかで、哀しみが混ざっているような表情が見えた気がした。

「・・・じゃあ・・・ハナビにとっての自由は何なの?」
「私にとっての自由は、何でも許される自由。私が、望むモノは手に入る、そん な自由なんです」
「・・・でもそれじゃ─」
「私が修業さえちゃんと受けていれば、何をしてもいいんです。姉様にあっても、咎める者はいません」
「・・・・・・・・・」

・・・嘘は、見当たらなかった。

「姉様にとっての自由とは何ですか?」

少し此方に顔を向けて、どんな自由ですか、と。
そういえば。己の考える"自由"とは、どんなことなのだろう。
何を通じて、"自由"と感じていたのだろう。
ハナビと同じものなのだろうか。
違う。ハナビが、もし日向の誰かを殺したって恐らく、それは許されるだろう。
大袈裟かもしれないが
ハナビの力は、いづれ日向宗家自体の強さに直結する力だから。
それは分家のネジ兄さんにもいえること。

・・・なら、私は・・・?

ハナビの細い髪が、手から滑り落ちた。

「・・・姉様?」

そんなヒナタにハナビは心配そうな表情で尋ねた。・・・もっとも、ヒナタにその表情は見えていないのだが。

「・・・あ、ごめんね、1つ結びでいい?」
「はい・・・」

私は束縛されずに生きる自由だろうか?でも完全に束縛されていないわけではない。
仮にも宗家だからだろう。日向という籠から、完璧に出ることはできないのだ。
なら、何なのだろう。

「・・・姉様の・・・」
「・・・・・・・・・?」

さぁ、と冷たい風が吹き抜けた。
結びかけた髪が風にさらわれた。
いくら時間が経っていたとしても汗で濡れていたハナビの身体には、この風は大分堪えるはず。
しかし私がかけようとした言葉は、ハナビのそれに留まってしまった。

「・・・姉様の自由とは、"道を選べる自由"だと思うんです」
「道?」

ハナビはゆっくり頷くと、再び口を開いた。

「・・・私は、父上の用意した道を、進むほかないんです。
例え、何をしても許されるから、と道を外れても私は、結局父上の作った道に戻らざるをえなくなるんです。
・・・それだけ、私は1人では何も出来ないよう育てられた」

でも姉様は、自分で進むべき道を決められる、と。
日向で、そんな自由を与えられたのは、姉様くらいだと。
そう言うハナビの背中は、優しかった。

・・・確かに、物心ついたときには自分で自分がすべきことを判断していた。
それが当然であると思えるほどに。

私が髪を結び終わると同時に、ハナビは立ち上がる。
後れ毛が、風になびいていた。

「・・・さ、姉様!行きましょう!私、お腹が空きました!」
「・・・そうだね。いこっか。」

自由は共通するものではない。何時からだろう、それを忘れていたのは。
ハナビは無理して笑っているわけではなかった。
今の自分を、自由と思うことができるからだ。
言葉で締め付けて、同情していた私は愚かだった。

「姉様ー!」
「・・・あ、ごめんね、今行く・・・」

ゆっくり、歩き出す。
もっと物事は簡単なものなのだ。柔軟な考えが必要とされるのだ。
前を行く5年前の私に、そう言われた気がした――